私を育てた母が「別人」に~母の認知症を受け入れること~

生き方

1年半ぶりに帰省していました。息子にいたっては高校生の時以来でしたので、7年ぶりの帰省でした。

母と電話をしていても耳が遠いだけで、話の内容を理解できていないとは夢にも思いませんでした。私の声は母の耳の周波数には合わないようでいつも聞こえないようでした。会話のピントが合わないのもそのせいだと思っていました。最近はほぼ私の声を聞き取れない状態でしたので、文字で会話できればと思ったのですが、メールやラインなども全くしない母でしたので、何か方法がないかと模索していました。

ところが今回、帰省したわかったこと。それは会話が成立しないのは耳が遠いことだけが理由ではないということでした。母の理解力はだいぶ落ちており、軽度の認知症なのではないかと思いました。

私が実家に到着する時間を伝えていたのに、母はわからなくなり、不安で心配になり、パニックを起こし、私に何度も電話をしてきました。そんなことが起きているとは私は全く知らず、交通機関で移動中のため電話に出ることができませんでした。すると今度は義兄から何度かの着信連絡。やっぱり電話に出ることができず、もうすぐ実家に到着するため、向かった方が早いと思い、そのまま実家へ到着すると、ポケッとした母が家にいました。(母は一人暮らし)何事もなかったような顔をしており、

「夕方に到着するから、一人で帰れるから、待っててくれるだけでいいよ、って言ったのに・・・」と私が言うと、

「そうだっけ・・・」と返答する母。

何かおかしいなあ・・・・とその時は思ったのですが、認知症の気があるとは気づきませんでした。

短期記憶障害があり、すぐに忘れてしまうようだと気づいたのは次の日。

朝ご飯を食べ終わったばかりなのに、昼ご飯を作り出そうとし、

「え?朝ごはん今食べたばかりだから、まだいいよ。」と私が言うと、

「あ、そうか・・・」と一旦は母は落ち着きました。

1時間後、「お昼ご飯、何しようか・・・蕎麦にしようか。」と言って母はキッチンに向かうので、

「え、まだいいよ。お腹いっぱいだし。」と私が答えると、

「あ、そうか・・・」と言って、ソファに戻りました。しかしすぐに立ち上がって、部屋中をそわそわしだし、落ち着かない様子。キッチンに向かって、お蕎麦を茹でようとするので、

「まだ、いらないよ。大丈夫だよ。さっき食べたばかりだから。」と私が言うけれど、やはりどこか納得いかない感じで、その後もしばらくそわそわを続けていました。

30分後、またキッチンに向かって蕎麦を茹で始めたため、私は諦めて蕎麦を茹でさせ、早いランチを二人で食べました。

また、玄関の扉を何度も開け閉めをし、鍵をガチャガチャしてるため、

「どうしたの?」と聞くと、

「扉が開かないんだよ。」と答える母。扉を開け閉めしているわけだから、扉は開くのです。それを「開かない」と言い、開け閉めを続ける母はどう見ても普通ではありませんでした。

何度も何度も同じ話を繰り返し、まるでさっきも同じ話をしてないとばかりに、話し出すため、そこにも違和感を感じました。私の今の日常生活の世間話をしても、理解できないようなのと、頭に記憶できないという感じでした。

このように会話が理解できないせいか、続かないため、二人で部屋にいても無言。母は大音量でただテレビを見ているだけでした。

あんなに料理が得意だった母は、切るだけ、焼くだけのような既製食品を購入し、食卓に並べるのでした。私や息子が帰省したときは、自慢の手料理を作って待っていてくれてたのに、息子もおばあちゃんの手料理が楽しみだったのに、手料理が出てこないことで、息子もすぐに悟ったようでした。

あんなにインスタントラーメンが嫌いで、私に食べさせたことがなかった母だったのに、スーパーでカップラーメンを購入し、私たちに食べさせようとしたことにもとても驚きました。

認知症になるとこんなにも人が変わってしまうんですね。病院でどんなに他人の認知症を見ていて慣れていても、近い身内が認知症になる姿にはショックを隠せませんでした。

母に電話のショートメッセージのやり方を教えてみました。電話ができないなら、せめて文字で私の言葉を伝えられたら・・・と。返せなくてもいいから、私からのメッセージを見るだけでもいいからと。でも何度教えても覚えられなくて、顔がどんどん怖い表情になりこわばっていったため、諦めました。もう、何も覚えることができないのだと、悟りました。

遠方に住む私は、母と直接コミュニケーションが取る手段がありません。近くに住む姉に連絡して、姉から伝えてもらうことくらいです。

母は歩くこともままならなくなっており、坂道も階段も登れませんでした。杖をついて平なところを小さく歩くだけです。手を繋いで支えて一緒に歩いてあげたら、

「手を繋いで歩くと、安心して歩けるよ」とつぶやく母。
小さい体が更に小さくなっており、座っている姿はまるで置物のようでした。

もしかすると、母はそんなに長くないのかなあ・・・・と思いました。

私と息子は住むところが違うため、遠方にいる私の方が先に帰りました。息子は後から帰ったのですが、息子を見送る時、駅で母は号泣したそうです。

姉に「死ぬ前にやっておきたいことはある?」と聞かれた母は、こう答えたそうです。

「xx(私の息子の名前)に会いたい」と。

念願叶って、今回息子(母からすると孫)に会えた母。これでやり残したことがなくなったわけです。この先、ちょっと心配です。認知症の高齢者の介護は大変だと思いますが、母はこれからどうなっていくのでしょう。もう少しで87歳になる母。いつ亡くなっても、認知症になってもおかしくない年齢です。

とうとう私の身にも介護や親の死が身近に迫ってきました。今の母は私の生母ではありません。生母は私が子どもの時に亡くなりました。2回目の母の死を私は受け止められるのでしょうか。そしてどんどん別人になっていく母を私は受け入れていかなくてはいけません。

頻繁に帰省できる距離ではないのですが、春にでもまた帰省し、母に会えればいいなあと思います。

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