私はある古書を読み、勉強をしていくということをしています。ずっと私が続けていることです。今年に入り、同じことをしている人同士で勉強会をすることになりました。数名で久しぶりに集まり、勉強することになりました。そこでの出来事で感じたことを書いていきたいと思います。
皆さんとは数年ぶりに会いました。コロナ禍でずっと会えていなかったのです。
その数年の間にとんでもなく成長していた方がいました。その方は数年前まではあまり知識がなくて、頓珍漢な質問をしていたのですが、コロナ禍においてひたすら勉強をしていたとのことで、かなりの知識がついていて、本当にびっくりするくらい成長されていました。
「もっと知りたい、もっと勉強したい」
そう言っている彼女。勉強の原点はそこですよね。
「どうしてそうなるの?もっと知りたい・・・!」
知的好奇心が全ての元です。謎が解けたときの感動。知れることの喜び。
それに対して、全然成長のない、「いまだにそんな質問する?」と基本的なことすら忘れてしまい、的の外れたことを言う方もいました。
差が大きすぎて愕然としました(笑)多分、この方は勉強をしていない、そしてそこまで興味がないのだと思いました。
この年齢になると、別に勉強なんかしなくても生きていけます。学生とは違いますし、強制されるものではありません。
それでも勉強する。それはそのことをもっと知りたいと思うから。知的好奇心です。
ですから勉強はまず知的好奇心を持って、主体性がないと続きません。
私たちが読んでいる古書は、馴染みのない言葉や難解な表現もあり、また内容も抽象的で時代に即していないものもあり、解読が難しいのですが、それを調べて読み解いていきます。ですから根気強く、調べて、覚えて、理解し、そしてそれらを具体化できるよう解釈していきます。
難解な表現、言葉を調べてもさらにその説明がわからないということもあるのですが、それをさらに調べていくこともあります。ですから高度な読解力も要求されます。
読解力については個人の能力の差が出る部分です。あまり成長されていなかった方というのは、読解力に欠けているように思いましたし、主体性もないように見受けられました。読解力、理解力が低いということは、勉強を続けていくことが難しくなります。なぜなら勉強をしてもわからないわけですから、面白みを感じなくなって、やめてしまうのです。
そして、自ら考えることを放棄しない。これも勉強をする上では大切だと思います。
質問するにしても、自分で一切調べたり考えることもせず、丸投げで質問するなんて、もってのほかです。
「ここがわからなくて自分で調べてみて、こう考えてみました。そしたらこういう解釈になったんですけど、そう解釈すると、以前の解釈と相反するような感じがして、どう思いますか?」
と自分で考えた上での質問であれば、自分はどこがわからなくて、どこにつまづいて、ここまでの知識はあるけれど・・・と分析もできているため、「ああ、それはね・・・」とわからない部分について説明されてもきちんと理解ができるわけです。
自分で考えるとは、自分が現段階での理解を論理的に整理するということでもあるのです。
今回の勉強会で感じたことは、私が息子を育てるときにも大切にしてきたことだったように思い出しました。
まとめますと、
1.知的好奇心を持たせること
2.主体性を持たせること。
3.読解力を育てること。
4.自分で考えさせること。
人は学び続けることをやめてはいけません。自分で考えることをやめてはいけません。そう考えさせられた勉強会でした。