挑発的なタイトルで申し訳ありません。
他大学から東大の大学院に入学した息子は、まさに「院だけ東大」です。
他大学から東大の大学院に進学した人が学歴ロンダリングに当てはまるという定義ならば、息子は学歴ロンダリングをした「院だけ東大」の人になるのでしょう。
文系分野についてはわかりませんが、理系に限っていうならば、研究室や研究内容が第一ですので、学歴をロンダリングしたいという主旨の人は少ないように思いますし、研究した高度な専門知識や技術が将来の職業に直結しますので、ロンダリングという言葉は適切ではないように思います。
実際、息子が研究したいと思った分野が息子の出身大学にはなく、東大にしかなかったということで、息子は東大のその研究室を第一志望にしました。
そして理系に関しては、研究費というのがとても大切なのですが、国立と私立では雲泥の差であり、東大の科研費というのは圧倒的に日本ではトップです。それだけ研究環境が充実しているわけです。理系分野の研究を真剣に希望するのなら、東大の大学院に進みたいという選択は納得できるものだと思うのですがどうでしょうか?
科研費についてはこちら→日本学術振興会:「科研費配分結果」より
また、大学入試で求めらるものと、大学院試で求められるものは異なります。大学入試は5教科の知識でいかに高い点数をとるかの試験ですが、院試は自身の専門分野の高度な知識や研究への素養や熱意が問われるものです。(英語力も必須)
東大の学部入学された方は個人的には本当にすごいと思います。5教科のあれだけの量を自分のものにできるのですから。その知性と努力に頭が下がります。
でも「院から東大」の人たちも、やはり別の意味で努力や知性があると思っています。それなりに学部生時代に勉強して努力をしていなければ、大学院へ入ってからが辛いものになるからです。大学院は勉強をするところではなく研究をするところ、当たり前ですが高度な知識をベースにして自発的な探究が求められるわけです。
そもそもの土俵が違います。
比べることに何の意味があるのでしょう。大学院に入る方が簡単だから学歴をロンダリングできるなんてあまりに低俗な発言であると感じます。
日本は学歴信仰が根強く、新卒一括採用制度を取り入れているせいもあり、学部の学歴で判断するというのが社会に出ると一般的と言われています。そのため「院だけ東大」と揶揄される風潮もあるそうですが、他大学からきたという同じ院生たちの様子を息子から耳にするのですが、目的意識が高く、研究に真摯に向き合って努力しており、本当に優秀だなと感じます。そういう人たちと切磋琢磨している息子は「自分もうかうかしてられない」と言っていました。
しかも東大は留学生も多く、やはり彼らも優秀だとのこと。世の中を動かしていきそうな勢いを感じると。
そういう意味で国際的にみても、「院だけ東大」や「学歴ロンダリング」などど、そういう揶揄に意識がフォーカスしてしまうと、日本はどんどん世界に遅れをとっていき、廃れてしまうのだろうなあと思わずにはいられません。(息子はまだ社会に出ておらず、海の物とも山の物ともつかぬ蛹なので、このような意見を述べるのは恐縮なのですが・・・)
研究力は国力にもつながる大事な部分でもあります。にもかかわらず、日本社会は研究や修士号、博士号取得者を軽視している、そしてそれ自体問題であることすら認識していない、非常に残念なガラパゴス状態であることが「学歴ロンダリング」論争に象徴されているような気がするのです。