私たちはこの日本で幸せに生きていけるのだろうか?

仕事・社会情勢

職場で一人の看護師と言い合いになりました。それをきっかけに私の中で、今まで心の中に押し込めていたものが一気に噴き出してきました。

自分の現実に対する不満、超高齢化社会に対しての不満、日本に対しての不満。

私はちゃんと仕事をしました。看護師長に彼女の言動はおかしいと物申しました。国家資格を有し、経験のある看護師である彼女の言動は、納得のいくものではありませんでした。一応注意してくださることとはなったのですが、結果論でいうと、そんな風になったのは「忙しかったから」と言い訳をされました。看護師は患者の個別対応などにいつも追われて大変、忙しいのだそうです。患者は緊急ではないこと、どうでもいいことで問い合わせをしてくることが多いらしいのです。そんなことにいちいち対応していたら、病院は回らないのだそうです。だからと言って、彼女の言動は褒められたものではないので、注意とはなりましたが、でもそれが現実なのでしょうね。彼女たちが仕事をしやすいように気を遣ってくれということなのでしょう。

そうであるなら、診療とは関係のない問い合わせや相談はサービスとして別途お金を取れればいいのに・・・と思うのですが、公共性の高い制度ビジネスの病院というのは、そうもいかないのでしょう。

医療分野は市場原理を持ち込んではいけない分野です。ニーズの予測が難しいからです。病院が利益を上げやすい患者は、継続的に通院してくれる軽症な若者です。でもそんな人は本当に医療が必要な人ではありません。そんな人たちだけの世の中であれば社会は安定しますが、そうなると病院はビジネスになりません。病院は健康ではない人、患者がいることで成り立つ、不幸ビジネスだからです。病院の儲けというものはこのように矛盾した構図をしてます。そしてまた本当に医療が必要で(重症な患者)、しかも老化で認知機能が劣っている人は、手間がかかるわりにはその分のお金が取れないので、病院としては人件費がかかり、やっかいなのです。結局、私が今回経験したことはそういうことなのです。

私は2020年の春にコロナにより失業し、求人数がめっきり減った状態で就職活動をしていました。アルバイト、短期派遣の仕事にすらひっかからなくなり、本当にあの当時はお先真っ暗でした。やっと見つけた仕事が今の病院事務の仕事です。病院で仕事をすることは全く考えたことがなく、要するに今の仕事は不本意でやっているということです。

病院で医療の国家資格のない人間はヒエラルキーの一番下であること、病院事務員は一般企業よりも収入が少ないことを知っていました。ご主人が稼いで、あくまでも補助的に働きたい方向けの仕事であり、ハッキリ言って、私のようなシングルマザーが大黒柱として働く仕事ではありません。それでもコロナ禍であり、求人が未だに少ないこと、年齢的なこともあり甘んじて派遣社員という雇用形態で病院の事務方として働き続けています。

病院というのは、患者さんは寝ても覚めても高齢者ばかりです。私自身、高齢者と関わる機会があまりなかったこともあり、病院に勤めだして驚きの連続でした。

まず、会話が成立しない。

耳が遠いだけではなく、頭も回らない。同じことの繰り返しで、一つのことを聞き出すにも時間がかかります。高齢者は何かにつけ、手間がかかります。

人間は皆、年を取ります。私だって例外ではなく、いつかは老人になります。でも多分、これは数の問題なのではないかと思うんです。

私たちは高齢者のために生きなくてはいけないのでしょうか?

これからも私たちは高齢者の生活、医療を支えるために、多くの税金、社会保障費を払い、生きていかなくてはいけないのでしょうか?

高齢者が増え続け、医療業界の人材不足、介護業界の人材不足と言われていますが、生産性の低い、未来のない、給料の安い業界に人材が割かれています。日本が経済が成長できない原因の一つは、資源のない日本において貴重な人材がこのようなところに割かれているからなのではないでしょうか?医療、介護、この業界はもっとIT化、自動化し効率的にしてもよいのではないでしょうか?ITに抵抗があり対応できな高齢者のために人を安く雇い入れ、全て人海戦術で賄う病院の姿勢もいかがなものなのでしょうか?今はそれでよくとも、今後絶対に成り立たなくなります。

介護で疲れる高齢者家族。たいていは、娘もしくは息子。これはミクロ的構図ですが、国全体、マクロ的構図で考えると、少ない子供で多数の高齢者を支え、疲れ切ったわたしたちではないでしょうか?

現在のコロナ禍によって超高齢化社会の現実が前倒しになった、より早く経験しているのだと私は思います。毎日コロナで重症化し亡くなっている方は高齢者ばかりです。その人たちに医療、介護を施すことで疲れ切った医療、介護従事者たち。これが私たちにこの先突き付けられている現実です。手間だけではなく、その費用も私たちが負担することになるわけです。

人材、お金、サービス、限られた社会資源は全て高齢者へ。

「コロナの濃厚接触者になった若者は、病院へ行かず、検査を受けず、症状がでたらコロナ陽性扱いにしましょう。コロナ禍では、受診の優先順位をつけざるを得ないから。」

とこんなことが言われました。

若者をバカにするのもいい加減しろ!

と私は怒りを感じました。これはこの国の若者に対するスタンスを表していると思いました。若者はもっと怒っていい。大人しすぎる。高齢者に割かれている莫大な社会保障費が少しでも若者に回れば、奨学金という名の借金を抱えながら社会人としてスタートをきらなくともよく、教育を受けたい人間は経済的な心配をせず、こころおきなく進学し、学べるのに。高齢者へ割いている社会保障費は足りなくて借金もしていますが、それを将来負担するのも若者です。

生産年齢人口にあたる私たちだってそうです。働いても、働いても税金や社会保障費でどんどん搾取され、高齢者に回る現実。子育て費用に回すことは難しく、切り詰めてカツカツの生活を送っています。

投票権の数は高齢者が大多数を占めています。若者は数が少ない分、若者全員の投票権を使っても高齢者に勝つことはできません。だからいつも選ばれる政治家は高齢者優遇政策をとる老害政治家ばかり。中長期的な政策なんて高齢者にとってはどうでもよいのです。短期的な自分たちに都合の良い政策をとってくれる政治家がよいのです。民主主義も崩壊しているのがこの日本。

いくつも基礎疾患を持ち、末期腎不全で透析を受けている85歳の患者が、透析中に大動脈解離になり緊急手術を受けました。私は医師ではないのでこの患者の予後がどれくらいかわかりませんが、日本では自分の命の長さを決められないんです。だからどんな健康状態でもどんどん長生きしていく。こんな高齢者を量産する日本。どこまでも高齢者に手厚い日本。

一体、だれがこの日本で幸せになれるのでしょうか?私たちはこの日本で幸せに生きていけるのでしょうか?この国はどこへ向かっているのでしょうか?

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